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東日本巨大地震(東北地方太平洋沖地震)について [その他]

被災者の皆様にお見舞い申し上げます。

東日本を襲った大震災の被害を受けられた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

日に日に明らかになる被害の大きさに胸が痛みますが、1日も早く復旧されることを祈念しております。

さて、このブログは資格取得に関するブログとして適当な頻度で更新しておりますが、このところ勉強のペースが落ちていることもあり、すっかり更新していませんでした。来週324日には、FP技能士1級実技試験の発表がありますので、その結果をご報告することができると思いますが、それまで空き過ぎてしまいますので、今日は、先週末に発生した東日本巨大地震(東北地方太平洋沖地震)について、身の回りのことを記載したいと思います。

私は、東日本巨大地震が発生した311日の午後、新橋のロイヤルパーク汐留タワー25階で、IT系のセミナーを受講していました。セミナーは1430に開始されたのですが、ほどなく、グラッグラッと揺れを感じ、たんだん、ミシッ・・ミシッ・・・と揺れに伴って建物が発する音が大きくなり、そして天吊の間仕切り壁がバタンバタンと暴れ出しました。時間にして3分から5分位。とても長く感じました。そして静まったと思ったのも束の間、暫くするとまた大きな揺れを感じました。

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早速、携帯電話を取り出して、i-modeで調べると、東北地方で生じた地震であり、東京は震度5ということが分かったのですが、ほぼ同時に、携帯電話に長女からの着信通知メッセージ(Docomo SMS着信通知メール)が入り、何かあったなと嫌な予感がして、セミナー会場からエレベーターホールに出ました。ホールではホテル従業員の方々がバタバタと地震対応に動きまわっておられましたが、25階の窓から見た外の景色はいつも通りで、とりあえず長女に電話を掛けました。しかし、何度掛けても繋がらない・・・。10回目位に漸く繋がり、長女に様子を聞くと、「キッチンの食器棚から食器類が大量に飛び出して割れてぐちゃぐちゃになっている、テレビ棚と壁面収納からもCDとか書籍とか三脚などのモノが大量に飛び出し、家の中が滅茶苦茶になっている、まだ余震が続いており怖くて家には居られない、すぐに帰ってきて欲しい。」と、ワーワー泣いていました。「分かった、すぐ帰るから待っておけ」と電話を切り、さてどうやって帰ろうかと、一旦、受講会場に戻って荷物を纏め、ホテルロビーのある24階に階段で下りました。 

ロイヤルパーク汐留タワーは、2003年に竣工した最新の制震装置を備えた地上38階、地下4階、37.2m×25.6mの矩形断面からなる高さ172mの超高層ビルですが、やはり震度5は大きかったのでしょう。25階部分では非常に大きな揺れを感じ、頭上で大きく揺れていた照明器具が落ちるのではと心配しました。 

汐留タワーの制震装置の説明はこちら↓

http://www.kajima.co.jp/news/digest/jun_2010/feature/structure/index-j.html 

ホテルのロビー階に下りると、宿泊客らしい沢山の方々が、地震で非常停止したエレベーターの回復を待っていました。ホテルマンの説明では、エレベーターの安全が確認されるまでロビー階で待機して欲しいとのことでした。まだ余震は何度も続いていましたが、25階から非常階段で下りる勇気はなく、私もロビー階でエレベーターの回復を待つこととしました。暫くすると、アイスティーのサービスがあり、また、フロント横にはホワイトボードが設置され、JR:不通、私鉄:不通、高速道路:不通、と次々と現在の状況が書き込まれていました。さすが、ロイヤルパークホテル・・・。ここに居れば状況が把握できるし安心だと思いました。 

その間、携帯電話のi-modeは繋がり難くなっていましたが、16時頃、会社の上司に連絡が取れ、このまま自宅に直帰することについて了解を取りました。しかし、余震が続いているからでしょうか、エレベーターはいつまで待っても回復せず、近くに居た方が非常階段で下りることを察知し、私も一緒に付いて行くことにしました。偉いのは、この時に誘導してくれたホテルマン・・・。私はてっきり24階の非常階段の場所まで案内してくれるのだと思っていたら、地上階まで先導して下りてくれて・・・・。偉すぎる!さすがロイヤルパークホテル!このホテルマンは我々2人を地上まで誘導した後、また階段で24階まで登らなければなりません。 

そして、さすが汐留・・・、海が近いからでしょう、地下12階は、万一の津波を警戒し防潮板を立ててクローズしているとのことで、私は、階段を降りて地上階に出ました。しかし、ホテルのタクシー乗り場は既に長蛇の列。待っていてもタクシーは、来る気配が無く、すぐには乗れそうに無いので、新橋駅に向けてとりあえず歩きました。新橋駅は既に人で一杯。電車も完全に止まっている様子だったので、新橋から銀座を抜けて有楽町、そして東京駅へ向けて歩きました。東海道新幹線が高架上で止まっているのが見えました。途中、人の流れはどんどん増えて行きました。余震が続いていたので、できるだけ新しいビルに入ろうと考え、東京駅前の丸ビルに入り、当面の食料確保ということで、フランスパンを3本購入。鞄にはセミナーに持ち込んでいたペットボトルのお茶が入っていたので、非常食の調達は完了というところです。丸ビルでは大きなテレビのスクリーンに震災状況を知らせるテレビのニュースが映し出され、道行く人達が立ち止まって見ていました。新丸ビルから東京駅地下の丸ノ内線改札口へ抜けると、付近は人で溢れ、いたるところに白いシーツのようなものが敷かれ、既に沢山の方々がその上に座り込んで、丸の内線の回復を待っておられました。息子と同じ学校の小学生も、一人で本を読みながら座っていて、ちょっとかわいそうになりました。 

東京駅を出て、皇居のお堀沿いを歩き、目白通りを通って、飯田橋、江戸川橋、早稲田へ向かいました。歩きながらフランスパンを1本食べました。JRと地下鉄は止まっていましたが、都バスは動いており、飯田橋駅付近のバス停は長い行列ができていました。バスに乗ろうかとバス停の表示板を確認しましたが、飯田橋から出るバスはちょっと方向が違うため、また歩きました。飯田橋駅を通るバスは、ぎゅうぎゅう詰め&大渋滞のために歩くのと同様の速度しか出ていないようでした。 

目白通り沿いを歩いて行くと、リーガロイヤルホテルがあり、丁度、高田の馬場行きのシャトルバスが出るところだったので、ホテルのお客さんに紛れ込んで乗車しました。目白通りは大渋滞でしたが、シャトルバスは裏道へ入ったので、高田の馬場には程無く到着しました。 

そして高田馬場駅から目白駅へ北上・・・。目白駅前には、飯田橋と同様、バスを待つ人たちが長い列をなしていましたが、私は普段の運動不足もあり、これ以上は歩けないと思い、バスを待つことにしました。不思議なことに、バス待ちの列からは、途中で待つことに挫折した人が去っていくため、自分の順番はどんどん前に移動していきます。当初30m位の位置に並んでいた私は、待つこと40分で、前から5番目になっていました。しかし、・・・違う方面行きのバスが2本到着するも、お目当てのバスはいつまでも来ず、私も余りの寒さにバス待ちを諦め、目白駅前のモスバーガーに入りました。 

体が温まったところで、また出発。目白駅直前では足が吊りそうな状態でしたが、体が温まると、歩く速度も早くなります。目白駅から千川通りを抜け、自宅には2230頃無事に到着(さすがに玄関に着いたところで右足を吊ってしまいましたが・・・。)しました。 

自宅は、2004年竣工の木造2階建で、ベタ基礎の在来軸組工法(基礎補強無し)ですが、日当たりの関係から、2階を主な居住区間(キッチン&リビング&子供部屋)にしているため、地震の揺れで、食器棚から食器類が飛び出し、キッチン床面は、陶器&ガラスの破片で足を踏み入れることができない状態、また、リビングもテレビ台と壁面の収納棚から飛び出したビデオ、CD、書類、小物類が積み重なり、すっかり気が滅入いる状態となっていました。リビングに金魚の水槽を2つ置いているのですが、地震の揺れで、水槽から水が溢れ出て(水槽内の水は縁から15cm位の高さまでしか残っていませんでした。)、近くに置いてあったデジカメとゲーム機を水没させてしまい、これらもダメになっていました。 

なお、リビングから見える隣家は屋根瓦が損傷している模様で、屋根の上にシートを掛けており、また、自宅から少し離れたところでは、ブロック塀が家に寄りかかるように倒れていました。 

以上、311日の状況を記載しました。 

現在、食器棚の扉は、余震でまた食器が壊れるといけないので、ガムテープで簡単に開かないように固定しています。自宅のある練馬区は震度5弱とのことですが、都内でもこれだけ揺れたのですから、被災地の凄まじさは想像を絶します。まして津波による被害の悲惨さには目を覆うばかりです。   

被害を受けられました皆様には、心からお見舞い申し上げます。

また1日も早く復旧されることを、お祈り申し上げます。


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